ケーススタディ

        片麻痺・空間無視のある患者の整容動作確立へのアプローチ
         ―自己効力感を高める関わりについて学んだこと―

                            

?.はじめに
半側空間無視とは、脳の損傷の反対側に提示された刺激に反応したり、注意を向けたりするのに失敗することで、その失敗が感覚障害や運動障害の中でとても目を引く症状である。通常の感覚で言うと、わざと気付かないようにしているとしか思えないほどに、その現れ方は印象的である。麻痺側とは反対に向いたままの頭、食事の時半分だけ手をつけてない、めがねの片方のつるが耳にかかっていない、車椅子操作において麻痺側のブレーキやフットレストの管理に無頓着で麻痺側の障害物にぶつかりやすいなど、行動を共にしていれば日常動作面での関わりから比較的にわかりやすい症状である。
 しかし、見た目にとらえやすいその症状は実に複雑な面をもっている。無視の範囲、外空間の情報に限らず視覚イメージやボディイメージ、病識など多岐に及ぶ。
更にリハビリテーションを行う際には、無視症状そのものよりも無視症状への無関心が問題となる。私は、脳梗塞の後遺症により、この半側空間無視の症状を持ち、リハビリテーションに積極的になれないでいる患者さんを受け持った。受け持ち時には必要な加療への意義を見出ない状態で、自身の現状を悲観的に捉え、回復への意欲を持ち得ないでいる患者に、心理学者バンデューラのいう自己効力感という「自己に対する有能感・信頼感」を持ってもらえるような援助を模索し、整容動作の援助を実施することで、回復への意欲を持ってもらえたとの発言を得ることが出来た。患者さんの意志力を高めるための援助の大切さを確認したので、ここに報告する。

?.患者紹介
1.A氏、70歳代、男性
2.診断名:右中大脳動脈血栓脳梗塞
3.受け持ち期間:平成19年6月18日〜6月27日
4.最初に見学したリハビリテーションでは、端座位訓練、髭剃り、顔面清拭が行われましたが、どれも上手くは出来ず、整容訓練時、認識に難の有る左顔面は促しによって、一二度、タオルを当てるのみであった。これは半側空間無視の症状により、左方への注意が向かないことによるものと訓練後セラピストから説明を受けた。更に、度々入眠されるなど訓練に対しての積極性は感じられなかった。コミュニケーション時、A氏は「友人に連絡してない」「山登りの予定があるがまにあわない」と、現在の状況に困惑している様子であった。記録からは「いっそひとおもいに殺して」との発言もあった。リハビリテーションについては感想を答えてくれず、沈黙するのみだった。
 
?.看護の実際
1. 問題点:運動機能障害、療養法の知識不足に関連したセルフケア不足がある
目標: 6月27日までに残存機能を用い整容をし満足したとの発現が聞かれる
2.具体策
病棟で鏡を見てもらい顔面清拭を促す。結果について感想を聞き、満足度を1から10のうちいくつと評価してもらう。
3.実施と結果
 <受け持ち4日目>
整容訓練を含む作業療法は午前に行われる為、援助は午後実施することにした。A氏は山登りが好きで、これまで登山した山の思い出を午後の時間に話してもらうことが、日々の日課のようになっていた。しばらく会話した後、A氏に顔面清拭をしませんかと提案すると快く了承して下さったので、用意したタオルと鏡を示し、自身の顔の状態を確認してからタオルを使う事を提案した。A氏は健側手で鏡を持ち、右方にかざし、念入りに自身の顔を見ていた。鏡を置き、タオルでまず右半分を目の周りから拭き、鼻を縦になぞった後、左の顎をぎこちなく二度撫で、タオルを置いた。私はあえて指摘をせず「じゃあきれいになったかチェックして下さい」と鏡を渡した。満足度を10までのうち幾つですかと聞くと6点とのことであった。一連の提案にA氏は興味を持っていただけた様子であった。

<受け持ち5日目>
午後、顔面清拭を促した。今度は満足度を教えて下さるように事前に言い、行ってもらった。A氏は、午前中のリハビリで示唆された顔をなぞって左面を拭くという動作をし、前日よりは多く清拭を行った。満足度は7と、少し誇らしげに大声を出したA氏はこの動作を楽しんでいるように感じられた。今回は私も左全面を拭けた事を評価し、さっぱりしましたかと聞くと「した」との回答を得た。効力期待を高める要素のうち、他者による言語的説得と、生理的な変化の確認を行えたと考えた。

<受け持ち6日目>
家族知人の立会いの上で作業療法が行われた。学生の計画を理解して下さっているセラピストにより整容動作訓練の満足度の確認が行われたが、大きな声で「99.9点!」との発言が聞かれた。A氏はユーモアをもって、発言したと考える。面会者は「よくなったね、できるね」と、一同笑顔でねぎらいの声をかけた。常に側にいてA氏の日常生活行動を見てきた他者により努力や結果が評価されA氏の自己効力感は強化されたと考える。この日以降訓練時の入眠はみられなかった。

<受け持ち7日目>
A氏は自分から、手まねで顔面清拭を行いたいという素振りを見せ、鏡を見ながら左半分はタオルを右からなぞらせ、触覚によって細部まで念入りに清拭を行おうとしている様子であった。終了後自ら「8.5点、でも十分です」との発言が聞かれた。この顔面清拭、その他の訓練についての感想を聞いたところ「おかげさまできれいになれた」「ステップの一つだからね」「大事なこと」と発言された。

?.考察
A氏からは当初、悲観的な発言も度々聞かれ、フィンクによる障害受容の段階では未だ ショック:自分が病気であることを飲み込めない 状態であると考えた。また、見学したリハビリ時、実施中に入眠してしまうなど訓練や、加療への積極性は感じられなかった。これは、注意障害の症状によるもの、疾患によるものとも考えられるが、加えて、リハビリ治療に対して意義を見出せないことによる無関心もあるのではないかと考えた。
心理学者アルバート・バンデューラは「激動社会の中の自己効力」の導入的・概括的な議論として、自己効力感について次のように述べている「自己効力感は、人間の機能のなかで中心的な自己規制のメカニズムとして作用します。私たちは、もし自分の行為によって望ましい効果を生み出すことができると信じなかったならば、行動しようという気持ちにはあまりならないでしょう。」自分自身の力を信じて「何とかやっていくのだ」と思えることは、人間が行動する上でまず第一に大切であるといえる。
理論に当てはめると、A氏は、リハビリテーション行動全般について、行動の先行要因である予期機能のうち、入院前のようにセルフケアが行えるようになるという結果予期を想定できず、そのための動作がどの程度上手く出来るかという効力予期についての確認も出来ていない状態であると考えた。結果A氏は自己効力感を持ちえていないことになる。       
保健行動が効果的に行われていく為には自己効力感という確信を持たなければならない。患者さんに闘病への意欲を持ってもらうために、自己のリハビリ行動・セルフケア獲得への自己効力感を獲得できるような援助を工夫する必要がある。私は看護師が患者に自己効力感を持ってもらうためにアプローチするべきである効力予期向上への働きかけを行おうとした。そこでOT訓練と連動して技術の向上が図れ、病棟で安全に行え、遂行が最も容易と考えた顔面清拭に焦点を絞り、援助を行うことにした。整容に注目した理由には、清潔であることや身なりがきちんとしていることによって人は爽快感、健康感を意識し、更にある種の自信を得て活動意欲を燃やすものではないかとの予想もあった。
しかしここで左半側空間無視の深刻な問題に直面した。半側空間無視は、私たちから見れば歴然とした事実なのであるが、患者自信にとっては、今認識している世界がすべての世界であり、半側空間無視は主観的な事実ではないことが根底にあるのではないか。おそらく半側空間無視を持つ患者さんの多くは、訓練経過中の中で失敗体験やスタッフの指摘が蓄積され症状が軽症化されてきても、根本的な病識の希薄さが変わることは少ないのではないかと考えた。しかし現状のように無視症状への無関心が続けば、効果的な治療は実施できず、患者さんの不安は増大し、転落等の危険の可能性は続き、セルフケア能力の低下が、二次的な障害を生むことが考えられた。援助は遂行されなければならないが患者さんに理解をしてもらうための言後による説明が功を奏するとは考えにくかった。この時点では私は、患者さんが空間無視という困難な症状を持っており、リハビリへの理解をもちにくいという状況にあるという「困った患者」であるというラベリングを行っていた。
しかし、患者さんとの会話の中で、趣味である山登り、富士山登山の思い出について語っておられたことを考えた。山は、一合一合上っていくことで最後には頂上にたどり着く。その過程が楽しいからやっている。いきなり頂上に着いたのでは楽しくないといった内容話であった。アメリカの社会学ハロルド・ガーフィンケルは日常の些細なしぐさや、会話に注目し、そこから人々がどのように日常を作り上げていくのかを調査し、その方法をエスノメトロジーという言葉で言い表した。文字通りには「人々の-方法論 (ethno-methodology) 」であり、治療をするのが当たり前であるという前提を押し付けず、そのひとなりの意味を見出してもらうことが重要なのではないか。
そこで私は、リハビリを登山と同じく楽しみが持てるもの・前進と終点があるという意味を感じてもらえるのではないかという期待もこめて、実施後の満足度を、1から10のスケールであらわしてもらおうと考えた。10まで到達したときが、目標達成であるという意識をもち、リハビリが持続したものであるという考えを持ち、積極性を持ってもらえればよいという考えがあったが、もちろん、患者さんにはスケールの意味についてはあえて説明をせず、患者さんが自己の行動について感じ、考えたことをフィードバックし、柔軟に修正するという計画を立てた。幸いに、A氏はスケールによる自己評価にすんなり興味を示してくれた。更に、「顔の半分が出来たら5点」と、わたしが予期しなかった基準を示してくれるなど、評価の意味について、自分なりの考えを持ってもらえたと考える。
バンデューラによって提唱された自己効力感を高める4つの刺激要因には、「遂行行動の成功体験」、「代理的経験」、「言語的説得」、「生理的・情動的状態」がある。
中西らは自己効力感を高める言語的説得について「言語的サポートは患者自身の行動範囲拡大の可能性を感じることになり、次段階の行動へと移行することが可能となる。」¹⁾と言及するように、清拭できたことに対し、学生、家族、スタッフなどの周りから支持され、励まされたことで、「言語的説得」となり、自己効力感を高める情報となっていた。そして、その後のリハビリ・援助に対しても意欲的に取り組むことができた。
一般に、成功経験は次の機会にもその状況を効果的に処理できるという予期を高める傾向があり、逆に失敗経験は自己効力予期を低める傾向があるといわれている。成功体験については、実施を顔面清拭という簡単な方法にしぼったことで、常に自分で行動して必要な行動を達成できたという経験を持ってもらい、これを情報源とし、自己効力を最も強く安定したものにしてもらうようにした。その際こちら側の批評を加えず、あくまでも主観にのっとって終了後の満足度をスケールで表現してもらうことで、行動が一過性のものでなく、能力の向上を図るための過程であるということが「ステップのひとつ」という発言からも伺え、行為の意味を理解してもらえたものと考える。

?.結論
患者の整容動作確立への援助を通し、自己効力感を高める関わりについて、以下の結論を得た。
1.実現可能な目標をもつことが原動力となり、自立に向けて積極的な行動がとれる。
2.周りから支持され、励まされることで自信につながり、行動意欲を高める。
3.自身の行為の達成度を測る基準を持つことが、行動意欲を高める。

?.おわりに
 今回の実習でA氏との関わり通し、援助への工夫が患者の挑戦しようとする前向きな姿勢を生み、意志力を高めることにつながることを学んだ。急速に回復していく過程で自立していく為にどのような援助が必要であるのか見極め判断し、求めるニードに対応することでADLの自立を促進することができるということを学んだが、今後は再発を防ぐための適切な援助が提供できるよう努力していきたいと思う。
最後に、このケースをまとめるにあたり、多くの学びを与えて下さった、A氏ならびに、ご指導して下さった皆様方に深く感謝致します。

?.引用・参考文献
<引用文献>
1) 中西泰弘ほか:歩行訓練を受ける患者における個人背景と体験の自己効力感への影響、神大医保健紀要 第16巻 2000
2) アルバート・バンデューラ編 激動社会の中の自己効力 金子書房 1997 

<参考文献>
1) 小島操子著:看護における危機理論・危機介入 フィンク/コーン/アグィレラ/ムースの危機モデルから学ぶ 金芳堂2004
2) 勝又正直:ナースのための社会学入門 医学書院 1999